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吉本せいは吉本興業を立ち上げた創業者で、笑いをこよなく愛し、落語しかなかった寄席に、多種の芸事を取り入れて漫才を作りました。女性の細腕一本で吉本興業を作り上げました。その力強さは山崎豊子の小説「花のれん」でいろいろな女優が吉本せいを演じています。

吉本せいはどんな人?

1889年12月5日、兵庫県明石市で米穀商の三女として生まれ、戦争が終わり、昭和の時代が大きな変化を見せる前に60才で1950年肺結核で亡くなりました。

吉本せいは20才の時に、大阪上町本町橋の荒物問屋「箸吉(はしよし)」の息子・吉本吉兵衛(通称は吉本泰三)と結婚しました。

吉本夫妻は、大阪の天満八軒という、飲食店や土産物屋が立ち並ぶ8軒の寄席が集まっていた場所の、1件の不人気だった寄席・第二文芸館の経営権を獲得しました。

吉本せいってどんな人?

出典:Wikipedia

吉本夫妻は、いくつもの寄席を瞬く間に買い上げ、1932年には「吉本興行部」を設立しました。しかも、戦後1948年には、「吉本興業合名会社」から「吉本興業株式会社」として株式会社化し、自分は会長に就任、後続は弟たちに任せました。経営の勉強もしていたんですね。

吉本せいは、20才の時に結婚した夫・吉本吉兵衛が37才で他界してしまう、子供たちは早世してしまうで自分が頑張らないといけなかったのです。

吉本せいと一緒に吉本興業を大きくしていったのは、吉本せいの弟たちでした。

吉本せいが会長に退いたときに、10歳年下の弟・林正之助が社長を務め、近代的な吉本興業を作っていきました。

吉本せいの弟・林正之助は「ライオン」と呼ばれ、所属タレントだけでなく興行界の誰もが恐れ敬っていました。1980年にやってきた、漫才ブームに乗って吉本興業は東京再進出を果たしました。

しかし、ライオン・林正之助の死後は社長の座を巡りひと騒動を乗り越え、現在は東京進出の功労者で、生え抜き社員であった大崎洋が社長に就任しています。

この経営手腕をふるう吉本せいは、当時宝塚歌劇団を作った阪急東宝グループ総裁の小林一三をもじって「女小林一三」と言わrてえいます。

吉本せいが常日頃話していた言葉
時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くこと。実行する、せんは、こちらが決めればよろし

当時、寄席では落語が中心でしたが、物まね、音曲、曲芸など多種の芸事を取り入れ今までになかった漫才を寄席に取り入れるという、新しい風を吹かせた吉本せいは、お笑いの世界の大いなる偉人と言えますね。
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