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とらやは室町時代後期の京都で創業し、明治の遷都の際に東京に出店した歴史の古い和菓子屋です。2015年10月、本社ビル建て替えの為に赤坂本店を閉店するときに書かれた17代目当主の黒川光博からの挨拶状が、お客の一人一人にかける熱い思いが話題になりました。

とらや(虎屋)の歴史

とらやは室町時代後期に京都で創業。後陽成天皇(ごようぜいてんのう)に和菓子を献上して以来、皇室御用達の製菓業となりました。明治2年東京遷都の時に、明治天皇とともに東京に移りましたが、京都一条のお店でも菓子つくりは続いています。

特に羊羹の製造販売で知られ、「とらやの羊羹」としてその名は、広く知られています

まだ、地方に虎屋の販売店がない頃、通信販売もない頃、お土産や頂き物で「とらやの羊羹」があると、大人たちは大喜びしていたのを覚えています。

市内の百貨店に「とらや」の暖簾を見たとき、「大人たちにおしえてあげよう!」と急いで帰った記憶もあります。

 

虎屋を代表するお菓子

とらやを代表するお菓子といえば、小倉羊羹の「夜の梅」です。

黒い羊羹を切ると、中に入っている小豆の切り口がうっすら梅の花に見えることからついた名前なのだと思います。

「夜の梅」という名前は、元禄7年(1694)の古文書に見ることができますが、形や原材料については書かれていません。羊羹としての最初の記録は文政2年(1819)です。また、文久2年(1862)には原材料に小豆、寒天などを記した文書が残り、この頃には煉羊羹としてつくられていたことがわかります。

出典:とらやを巡る小さな話

とらや(虎屋)の羊羹・どら焼きはどっちが手土産におすすめ?

お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳は、2017年9月に青山学院大学を受験することを公表しましたが、2018年の年始は勉強一筋だったと話しています。

そしてなんと!田村淳の勉強のお伴がとらやの羊羹だそうです。

「ずっと勉強部屋にいるとふわっとして、ツイッターとかやりたくなるので、手の届かないところにおいている。そばにあるのはほうじ茶ととらやの羊羹(ようかん)。羊羹の良さを知ったのも受験のおかげ。コンスタントにちょっとずつ食べて、(口の中で羊羹が)溶け始めた時にほうじ茶を流し込むのが唯一の楽しみ」と話した。

出典:ヤフーニュース

田村淳へお土産を持っていくなら、羊羹がいいかもしれませんね!

羊羹は日持ちがすること、封を切っても食べる分だけ切れば数日、あるいは多くの人と分け合えます

とらやの羊羹は虎屋の直営店だけでなく、百貨店、ターミナルの中にもお店があったりと購入しやすいです。

どら焼きも、とらやはあんこが美味しいので絶対食べたい一品ですが、虎屋のどら焼きにはなかなか出会うことができません。出来立てのとらやのどら焼きに出会えたら、どら焼きをぜひ手土産に。
とらやのどら焼きはとらや工房でのみ堪能できます。

とらやのあんこが美味しいわけ

とらやは、あんこが美味しいので汁粉も、どらやきも、まんじゅうも練り切りも美味しいのです。

とらやの菓子づくりは、餡づくりから始まります。御膳餡(こし餡)、白餡、小倉餡、味噌餡など、種類はさまざま。それぞれの菓子に合わせて硬さや糖度なども調整しています。また、とらやの餡づくりの特徴の1つとして、渋きり(注)の回数の少なさがあります。回数を少なくすることで、小豆の味が損なわれず、風味がしっかりと感じられる餡になります。
(注)小豆を煮た際に出る煮汁を捨てること。アク抜き。

出典:とらやを巡る小さな話

とらやのお菓子を食べるには

とらやのお菓子を食べるには

  • 百貨店やターミナルに入っているお店で購入し、持ち帰って頂く。
  • 虎屋菓寮(直営店に併設された虎屋の和菓子を提供する茶店)で頂く。
  • TORAYACAFE’ 餡を材料として用いた洋菓子などを提供するカフェ
    六本木ヒルズ、表参道ヒルズ
  • とらや工房 2007年10月開業。池を囲むように建てられた工房で、職人がその場で和菓子を手作りしており、隣接する茶店で庭を眺めながら頂くことができます。
    虎屋工房で作っている和菓子 「どら焼き」や「大福」、「人形焼」といった、素朴ながら味わい深い和菓子が味わえます。
    所在地 : 静岡県御殿場市東山1082番地 御殿場東山ミュージアムパーク内

とらや工房御殿場東山パーク内

出典:Wikipedia

虎屋のオンラインショップで虎屋のお菓子を購入する

虎屋赤坂本店閉店の時の17代黒川光弘氏からお客様への挨拶状

                                                       2015.10.2

十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ

赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明 治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。

昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を 思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。

この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。
三日にあげずご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。
車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。
このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。

3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。
新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

虎屋17代
代表取締役社長 黒川光博

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