Pocket

2017年第68回紅白歌合戦で、静かなピアノで「Endless Rain」を聞かせてくれて、頚椎人工椎間板置換の手術後だからこれだけかなと思っていたら、ドラムセットが現れて「紅」の演奏とYOSIKIのドラムを聞くことができました。やっぱりXJAPANは、パワフルな演奏がないと!いつまでも変わらないyoshikiの年齢は?マツコにも「つっぱっていても可愛い!」と言われた少年時代の写真も!

YOSHIKIの年齢はいくつ?

YOSHIKIは日本人男性として、初めてVOGUEの表紙を飾りました。

メインテーマが「ROCKSTAR」の2017年10月号のVOGUE誌です。

YOSHIKIと一緒に表紙を飾っているのは、アルゼンチン出身のスーパーモデルMica Arganarazです。

VOGUEの表紙の撮影は頚椎人工椎間板置換手術後の6月上旬にニューヨークで行われました。手術からわずか、3週間後の初仕事でした。

YOSHIKIは今回の撮影を「とても刺激的だった」と振り返っていますが、私たちにとっても、ドキドキするような表紙の写真ですね!

このドキドキする、VOGUE誌の表紙を飾るYOSHIKIの年齢は

YOSHIKIの年齢は51才です。

yoshikiとXJapanの生い立ち

1965年11月20日、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男・林 佳樹(はやし よしき)として生まれました。

よっちゃん」と呼ばれています。

YOSIKIとキティちゃんがコラボしたヨシキティ

YOSHIKIの父は、ジャズピアノ、母は三味線、叔母は琴の演奏を嗜むという音楽的な一面を持つ環境の中に育ちました。

幼少期は家業が忙しいために、YOSHIKIと弟の面倒は家政婦がみていたとのこと。4歳になったYOSHIKIに父は、ピアノを買い与え近所のピアノ教室に通うようになりました。

日頃から、父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴いていたといいます。

8歳の時には、自分のお小遣いで初めてレコードを購入しましたが、それはシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードだったそうです。

YOSHIKIは見るからに色白で、今でも痩せていて身体は丈夫なのか心配になりますが、子供の頃は病弱で重い小児喘息を患っていました。

小学校中学年になるまで、入退院を繰り返す生活をしていましたが、父がYOSHIKIの見舞いに持ってきてくれた子ども向けの偉人伝を愛読する子供で、中でも若い時に難聴になりながらも素晴らしい名曲を残したベートーベンの苦難の人生に興味を持っていたということです。

9歳ころからピアノで作曲を始め、10才から14歳までブラスバンド部でトランペットを担当しながら、高校まではサッカー部にも所属してミットフィルダーのポジションを担当していました。

そんなYOSHIKIの誕生日には、楽器を買ってもらえることが恒例となっており、10才でトランペットを始めたのは、誕生日に父からもらったプレゼントがトランペットだったからです。

その翌年に父は亡くなり、クラシックしか聞いたことがなかったYOSHIKIは行きつけのレコード店でジャケットに惹かれて購入したキッスの「ラヴ・ガン」、母に頼み連れて行ってもらった日本武道館のキッスの「ロックンロール・オーバー・ツアー」公演をきっかけにロックに魅了され、11才でドラムを始めました

11才で初めて、2人の小学校の同級生と幼馴染でギターの弾けたToshiと4人組バンド「DINAMITE」を結成、貸しスタジオで練習をしていました。

YOSHIKIは声変りが遅く高音しか出せなかったのでボーカルはあきらめ、ドラムに専念、バンド名を「NOISE」に変更し、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの楽曲を練習することに。

初舞台は、中学校の体育館で開かれた予餞会。高校進学後もNOISEとしてレッド・ツェッペリンやUFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏しました。

1982年夏、大学受験に専念するメンバーが抜けたためにNOISEは解散。ボーカルに転向したToshlと他校の生徒によるツインリードギター編成で、アイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されて、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在のX JAPAN)を新たに結成しました。

Xでは、オリジナル楽曲の作曲を始めましたが、Xの為に「I’KILL YOU」を初めて作曲し、この曲は1985年にXのシングルとしてリリースされています。

自分で生み出したものは可愛いといいますが、初めてXの為に作曲した楽曲は特別だったに違いありません。

YOSHIKIは高校3年から音楽大学を目指し、本格的にピアノに打ち込みました。受験用のプログラムに沿って、ソルフェージュ、和声、楽典などの音楽理論を学びました。

受験勉強の傍ら、Xとしてバンドコンテストに出場するなどバンド活動も行い、ヤマハ主催のアマチュアのバンド・コンテスト「EastWest」の千葉県大会では個人でベスト・ドラマー賞を受賞しまし、Toshiも、別のコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞しました。

YOSHIKIが音楽大学の推薦入学が決まっていましたが、Toshiから大学には進学せずに東京でバンドを続ける決意を固めたことを聞き、YOSHIKIも音楽大学への道は断ち、本格的にバンド活動を行うためにToshiと上京することにしました。

YOSHIKIは多くの人に聞いてもらわないと話にならないと、Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立しました。

1988年に同社よりリリースしたXの1作目のアルバム「Vanishing Vision」はオリコンの習慣チャートで最高19位を記録、インディーズ・レーベルの作品なのに日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなりました。

1989年には、Xの2作目のアルバム「BLUEBLOOD」でCBSソニーからメジャーデビューを果たします。

同年末には、日本有線大賞の新人賞、全日本有線大賞の最優秀新人賞、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞しました。

YOSHIKIは、X JAPANの1993年発売ののアルバム「ART OF LIFE」からはバンドのプロデューサーも担っています。YOSHIKIは自分の職業にソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、実業家、起業家、ファッションデザイナー、ラジオパーソナリティを挙げています。

YOSHIKIプロデュースの香水
このYOSHIKIが「エクスタシーレコード}を立ち上げたことは大変評価されています。

「自らインディーズレーベルを主宰していたYOSHIKIは、メジャーデビュー後も広告や宣伝に対して意欲的でした。これだけ宣伝や露出の価値を見出し、主導してプロパガンダに勤しんだアーティストは、当時日本の音楽業界初だったのです」(市川哲司氏)

YOSHIKIの神対応トークの効果は?

2018年1月1日放送の「芸能人格付けチェック」にYOSHIKIは、GACKTのパートナーとして出演しました。

ロサンゼルス在住で、世界を股にかけて活躍しているYOSHIKですが、味覚や音感を試される番組で、しかも個人で53連勝を誇っているGACKTのパートナーとして出演して大丈夫なのだろうかと誰もが気になり、テレビ画面を見つめていたと思います。

ところがその心配もよそに、自らワインのプロデュースも手がけているYOSHIKIは、100万円のワインと5000円のワインを見事に判別することに成功しました。

YOSHIKIプロデュースのワイン・YバイYOSHIKI
「香りだけで分かりました」と答えながらも、「100ドル、1万円以下のワインでもいいのは結構ある」と、安いものが質が低いわけではなく、「5000円でこれだけの味がするっていうのは、騙される人、結構いるんじゃないですか」と、この問題を間違えてしまった人へのフォローもさりげなくしてくれて、YOSHIKIのやさしさというか人間の大きさを感じさせてくれました。

また、YOSHIKIが収録中であるのも関わらず、正解発表を待つ特別室で続けざまにお菓子を食べるシーンが映ると、「YOSIKIのお菓子を食べる姿が可愛らしい」と評判になり、YOSHIKIが食べているお菓子が特定されると、問い合わせの多さにお菓子屋のサーバーがダウンし、商品は品切れ、しばらくは商品が需給できない状態にまでなっています

YOSHIKIが食べ続けたお菓子

銀座あけぼの・「味の民藝」銀座あけぼのの店舗を探す

一緒にタッグを組んだGACKTの言葉を紹介します。

GACKTは新年の挨拶と共に「今年もYOSHIKIの大きな助力により、一流芸能人の地位を守ることができました。」と、同番組での地位を守ることが出来たことを改めて報告した。

また、今回タッグを組んだX JAPANのYOSHIKIについて「YOSHIKIが冒頭での一言、『(間違えて落ちても)それはそれでいいかも…』ボクは心の中で全力で突っ込んでいたGACKTです。『オ”〜〜〜〜イッ!!真剣にやれぇぇぇ!!』」と内心発言に突っ込んでいたこと明かした。

さらに、終始心臓がバクバクしていたと語ったGACKTだが「YOSHIKIの余裕で正解を出す姿を見て、『悔しいけど、カッコいいかも…』と茶菓子好きな兄を尊敬し直したわけです」と、YOSHIKIに対して改めて尊敬の念が湧いたことも記していた。

出典:TARENTBANK

YOSHIKIのすっぴん画像

以前、XJapanで活動していた時の話です。

幼馴染のToshiのご両親は千葉県館山市で「R]というスナックを経営してあり、それはXJAPANのファンンオあいだでは 有名な話ででしたが、そこに週刊誌「微笑」の記者とカメラマンが取材に来た時のこと、ご両親は自分の息子が取り上げてもらえることが嬉しくて、YOSHIKIとToshiの載った卒業アルバムをみせてしまったのだとか。

それまでは、プライベートなことは語られていませんし、素顔なんて誰も見ることはできなかったのですが、それはもう、世の中びっくりで当時YOSHIKIもかんかんだったそうです。

サングラスに隠された顔を自分なりに想像していたファンもいろいろな思いを、それぞれに持ったようです。

卒業アルバムの写真

YOSHIKI高校卒業アルバム

インディ-ズの頃の写真

YOSHIKIインディーズ時代

2013年GG賞(ゴールデングラブ賞)受賞時の写真

YOSHIKI2013年

2018年1月9日(火)マツコの番組で流される、「つっぱっていたけど、可愛いと言われた」YOSHIKIの写真。

YOSHIKIの少年時代

可愛いですね!ちょっとリーゼントで、つっぱっている風なところがまた可愛さを増していますね!

2018年4月には、米国最大の音楽フェスに参加予定のYOSHIKIです。頸椎の術後の経過もぜひよくなっていますように。そして、絶好調で日本のハードロックの素晴らしさをアメリカで示してきてほしいと思います。

関連記事
YOSHIKIの弟は元俳優?結婚や嫁は?現在の仕事も気になる!

Pocket

スポンサーリンク